ものかきさんに100の質問。/ものかきさんに100のお題。

ものかきさんに100のお題。

9.フラスコ

「そういやさあ、前に先輩から聞いたんだけど、俺らの入った年に卒業した辺りの代はかーなりトリッキーだったみたいよ?」
 この男をしてそう言わしめるのだったら、それが本当だったら大したことだろうと思う。思ったが、言わなかった。黙々と実験の準備を続ける。目の前の男は実験で使う筈のフラスコを持ってはいるが、持ってるだけだ。
「で、先輩が言うには、俺はそん時の会長と少し似てるんじゃないかってのよ。ひどくね? 俺がまともじゃないみたいじゃん」
 なんだ、その先輩の評価は正しかったんじゃないか、と思う。思ったが、やっぱり言わなかった。

「ホムンクルスって知ってる? 本島」
「それ」
 たとえ脈絡があってもわからないような話の相手をするのが面倒で、短く言って実験室の奥を指差す。後ろを首だけで振り返って、そうだけどそうじゃなくてさ、とつまらなさそうに呟く。
「人体模型の方じゃなくて、人造人間の方。ラテン語の”小さな人”の方。お前わかってて言ってるだろ」
 真面目に準備する気がないのはわかったから、いいからフラスコを置け、と言いたい。そのうちぶつけるんじゃないかと、見ていると小学生相手みたいな心配に駆られるのだ。
「フラスコに馬糞と精子とハーブを入れて四十日、生き血を与えて四十週……なんだ、やっぱり十月十日(とつきとおか)くらいは掛かるのか。精子はともかく何で馬糞て感じはするけど」
 ホムンクルスの作り方なんて、くだらないことは相変わらずよく知っている。
「フラスコで作ったら出せなさそうだな」
「いや出さないんだ。てか、出しちゃ駄目なんだよ。フラスコから出すと死んじゃうんだわ」
 からかうつもりで言ったのにそう返されて面食らう。思わず「何の為に作るんだ」と訊き返してしまった。乗せられている、完全に。
 フラスコから出せない小人。単に科学的探究心、いや、完全な人体を作る過程に過ぎないのか?
「生まれながらに叡智が備わってるらしい」
「人が馬糞で作った人形がか?」
「それがすごいとこだろ。大体馬糞で人ができるんだ、今更話そうが叡智が備わってようが驚くことでもないだろ」
 それはそうなのかも知れないが。フラスコを注視する、勿論何も入っていない。小さい人間がそこに入っているのを思い描いてみる――マンガだな、何だか呆れた溜息が出た。
「何だよ、信じてないなー俺の知識を」
 溜息の意味を勝手に勘違いしてむくれると、フラスコを持ったままジタバタと大きく手を振り回す――だからそれをやめろ、と冷や冷やする。手が長い分子供よりタチが悪い。
「それでどっからホムンクルスなんて出てきたんだよ」
 話を聞いてやらないと収まらなさそうなので諦めることにする。
「どこ? ――ああ、話の方な。だから先輩だってば。その卒業したトリッキーな代でさ、ホムンクルス作ってみようって話まで出たって。その割には、うちに馬術部ねーしって理由なんかでやめたらしいけど」
 確かに他所からどうにかして調達してまでやることではないだろう。まあ手に入るからといって試すようなことでもないと思うが、そういう訳のわからないことを大真面目にやってみるサークルだ、と言ってしまえばそれまでだ。
「どっちかっていうとハーブのがよっぽど探せないと思うけど。大体何のハーブかとか書いてある本あったのかなあ」
 あったらやってみる気なんじゃないかと疑わせる辺りが、十二分に先輩の「似ている」という評価を裏付けているのだろうと思う。むしろその語り草の先輩達の方が、その様子では本気ではなかったのじゃないか。

「本島、ちょっとここに手置いて」
「何?」
「いいからさ。手のひら下向けて」
 不審に思っていると、右手を取って机に押し付けられる。左手もと急かされ、意味のわからないまま従う。
「ちょっとそのままね」
 言って一度背を向ける、振り返って笑う。
「な……」
 伏した手の甲それぞれにフラスコを乗せられる。ご丁寧に何かの液体が入っている。……やりたいことの意味がわからない。
「ほら動けない。本で読んだんだ」
「ふざけるな、割ったらどうする」
「怒られる。つーか中身何か知りたくない?」
 知りたくない。言い方がこぼしたらまずいものだと言っている。皮肉なことにその重さがフラスコのバランスを取っている訳だが、それにしたって安定した置き場ではない、動けば倒してしまう。
「お前なあ、何がしたい訳」
「だって本島、真面目に聞いてくれないからさ」
 真面目に聞くような話したか? ――付き合ってられない。右手の上のフラスコを、そっと体の方へ傾ける。左腕と体で支えておいて、右手をずらして引き抜く。
「あ」
「馬鹿だろ、お前。こういうのはコップとかでやるから成立するんだろ。フラスコにこの量じゃ相当傾けなきゃこぼれないぞ」
 いつだってこの男のやることは詰めが甘いのだ。そう、いつだって。

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