ものかきさんに100のお題。
8.他人事
やめた方がいい。
三猿――見ざる、言わざる、聞かざる、だ。「関るな」と告げる関係さえ持たないのが得策だ。
僕は知っている。「それ」がどういうものなのか。触れてはならないものだと、愚か故に知っている――経験者だ。
他人がそれに近付こうと知ったことではないじゃないか。何が起ころうと所詮他人事だ。
いじめられていたんだって。
「え?」
「聞いてなかったの? ほら、前に失踪しちゃったって子。いじめられてたらしいよ――今頃、どっかで自……」
「興味ない」
その一言で黙らせる。冷めてるなぁキダちゃん、苦笑いが返って来る。死んでるかも知れないことまで念頭において、まだそれを笑って話せるのだから――人間は残酷だ。
他人のことだから。自分には関係ないから――それなら関らなければいいのに。無関係なら口を挟まなければいいのに。
人は関係のないことを嘲笑おうとする。その火の粉が降り掛からないことを蒙昧に信じて、決して我が身には振り替えない。
「キダちゃん、もう少しさあ、何つーの? その、そーゆーのやめた方がよくない?」
「そういう、って?」
歯切れ悪く言う、その様は少し困ったようで、それをわかっていながら敢えて聞き返す。
「自分は世事と関係ないみたいな? つーか平たく言うとそこらの馬鹿とは付き合えねーみたいな」
「そうは、思ってないよ」
別に上下では捉えていない。自己と他とをあまねく隔てているだけだ。そうか、外から見れば僕こそ他人事だと嘲っているように見えているのか。
「昔はそうでもなかったじゃん? やっぱあいついなくなったからかな。ほらよく一緒に」
その話はするな、という僕の無言の圧力に気付いて、気まずそうに口を噤む。「本当のこと」を知らないから、そんなことが言えるのだ。あの日、あそこにいなかったから。あいつは、あいつがいなくなったのは――。
そう、確かにそれ以来だ。世界が「自分以外」という基準で認識されるようになったのは。とても平坦な世界になったのは。
なのに、何故今更そんなことに煩わされているのか。しかもそれは掛けられた迷惑ではない、降り掛かってもいない火の粉の下に、わざわざ向かう必要がどこにある。
他人事だと思えないから――そこにあるのは昔の自分の姿だから?
けれどそれなら、あのとき、誰も止める者などなかったじゃないか。いや、他人が止めて、それでやめただろうか? だって誰も本気でなんかなかったじゃないか、ただの好奇心で軽い気持ちで、冗談ほどの意味もなかった――だからこそ、誰も止めなかった。だからこそ、止めたってやめやしなかったんじゃないか? だったら――。
「あいつらも好きだよねえ。折角の休みに学校出て来てまでやることかね」
「ああ、そうだな」
そうそれでいい、近寄らない方がいい。あれは、遊びなどではないのだ。本物なのだ、本当に……だから、本当にあいつは。
「大丈夫?」
噂話の好きな友人は、漏れ聞こえてきたどちらの話にもすぐに飽きてしまったのか、そばだてていた聞き耳をオフにするとじっと僕の顔を見て、顔色悪いよ、と眉を寄せた。
「何でもないよ、大丈夫」
心配と、無関心からの無責任な関心とのボーダーはどこにあるのだろう。僕も「彼女」もただ同じ学校の生徒なのに、どちらもただ他人なのに。どこで線が引かれてしまったのだろう。
僕は、どうなんだ? この自分の隣にいる友人がもし「あれ」に興味を示していたなら、そうしたら僕は止めていたんだろうか。
違う。
揺るがすのは、不安だ。「それ」への恐怖、過去が繰り返すこと――去った筈の過ちが戻ってくることだ。「どんな」他人であるかは問題ではないのだ――揺らいでいるのは、自己と、過去の自己との境界だ。彼らは総じて「僕」なのだ。
……そして「あいつ」だ。
僕らは忘れることにしたのだ、忘れられる筈のない過去を。なかったことにするのだ――だから、あれは過去の僕らじゃない、全部……他人事だ。
お題提供:[ものかきさんに100のお題。](in A BLANK SPACE)