ものかきさんに100の質問。/ものかきさんに100のお題。

ものかきさんに100のお題。

6.手袋

 夏だというのに、彼の人は白い手袋をしていた。それは恐らく一般的にはその場に不似合いだったのだろうけれど、それはまるで初めからそうであったかのように、そうして生まれ落ちたかのように、彼女の持つ独特な空気に似合っていた。

 あたかも深く刻まれた烙印のように?
「そう、あたかも深く刻まれた烙印のように、ね」
 そう言って彼女は少し失笑したようだった。
「わかっているのよ、あの人達がそんなことを気にするような人達じゃないってことくらい。長い付き合いですもの。でもね、誰よりも私が気にするの」
 自嘲めいた笑みさえ、まるでそうして笑みを作る為に設計されたその為だけの面の様に、彼女の笑みは静止画の美しさを持っている。
「ホントいうと、こうして貴方と二人で会うのも怖かった。誤解しないでね、貴方をそんな人間だと思っている訳ではないの。これは、私の問題なのね」
 彼女は無意識で右手を左手へ持っていった。さするように――愛しむように?
 火傷の痕を隠す為だと聞いている白い長い手袋は、その下の素肌とは違い光を平坦に撥ね返している。
 ――あたかも深く刻まれた烙印のように。僕はもう一度胸中で呟いた。それは、恐らくは当然にその傷のことであり、勿論心の傷のことでもあるのだ。
 彼女は不遇な少女時代を送り、そしてそれ故に、より残酷ともいえる境遇で娘時代を送ったのだろうことは想像に難くない。そして、それは今もこれからも、その過去同様に取り除くことは出来ないのだ。

「心の美しい人は外面も美しいっていうでしょう? それなら、私は一体どれほどの悪いことをしてしまったのかしらね」
 以前彼女がそう悲しげに、けれどやはりどこか自嘲するような口調で言ったことがある。
「けれど、美しい人が必ずしも心が綺麗って訳じゃないじゃないですか」
 月並みな否定の言葉しか返せず、自分の言葉の無力を知る。
 違うのだ、そもそも彼女は――美しいのだ。たとえ、その身体に残る烙印が手袋で覆うことのできるものだけでなくとも。
 そう、彼女のその整った顔には、化粧や髪で隠せたとしても、消すことは出来ない烙印があった。それは彼女の美しさそのものを損ねるものではないように思えたが、そう口にすることも、それは所詮他人の無神経な言葉に過ぎないようにも思えた。
「それはそうね。けれど、心の美しい人間が姿も美しくなるのなら、少なくとも姿の美しくない人間は、心もそうではないということよ」
 まるで禅問答でもするような――もっともその経験は僕にはなく、あくまでイメージに過ぎないのだが――彼女の言葉は、はなから自分の内に答えを持っているようだった。

「こんな風に、あの人達の前でさえこの手袋なしではいられないことが、きっと私の心の美しくないことの証なのね」
 それは、仕方のないことではないのか。彼女はその火傷の痕故に、それまで幾度も好奇や同情憐憫の目に晒されてきたのに違いない。ましてや彼女は、親しい人間さえも信じられないのだと言うのではない。他人がその傷痕を見て不快にならない為にその手袋をしているのだろう。それは、まだ責められなければならないことのなのか?
 ――まるで、本当に責められるべき罪責が在るかのように。彼女は、何を自嘲(わら)う?

「先輩は、確か今はご親戚のお家に?」
「いいえ、今は一人よ。高校を卒業した時に、あの家は出たの。いつまでも厄介になっていてはいけないと思って」
 また、彼女は左手に触れる。白い手袋と袖口との間にわずかに覗く腕は、どうしてだか手袋の白よりももっとよっぽど作り物のような白さに思えた。セルロイドの人形のそれのように、絹の手袋の方が有機的なのだ。
「先輩のご――」
 何を訊くつもりだ。そんなことを訊いて何になる――彼女を、傷つけたいのか?

「おい、そろそろこっち来ないか? 二人でばっか話してないでさ」
 助かった。そう思った。本当だったら、もう少し話していたかったなどと感じてもよかった筈の、あれほど望んだ会合だったのに。

 行きましょうか、彼女は言って席を立った。その笑顔に、彼女は、本当は何かを糾弾されることを望んでいたのではないかと――そんな錯覚を覚えた。
 白い手袋をした彼女の手を取る勇気は、持てなかった。

お題提供:[ものかきさんに100のお題。](in A BLANK SPACE

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