ものかきさんに100の質問。/ものかきさんに100のお題。

ものかきさんに100のお題。

5.透明

 透明なものはどうやって存在しているのだろう。僕は小さな頃からそれが不思議でならなかった。
 空気、水、それからガラスに、トンボの羽。空気は、特に異質だ――いや、透明の存在を不思議がる僕には、空気のそれこそ最も自然な『透明』の在り方といえたかも知れない。見えないし、触れない、なのに在る。常に触っているし見ているのだ、と言われても諒解はし難かった。

 水やガラスは何故見えるのだろう。トンボの羽は、あの葉脈のように細緻に這った黒い筋が存在を示しているように思える。水や、ガラスもそうだろうか。たとえば、窓は、窓枠があるからそこに存在できているのだろうか? そういえば、視界の狭そうな小さな虫や鳥達は偶によく磨かれた窓ガラスを認知できずに勢いよく衝突している。あれは、窓枠が見えていないから、そこにある『透明』の存在を了知できていないのかも知れない。
 水だって同じだ。水というのは大抵は何か容器に入っている、でなくても河や湖といったものには岸があり、それが縁になっている。海は、あれは青いからどうでもいい。
 それでは、空気は、空気でない部分が無いから『見えない』ということだろうか。そこら中空気に溢れているから、ありすぎて見えないのか。なるほど、立場の逆転する水中では球体の空気が『見える』。

 そういえば、空気の存在を訊ねたら小学校の先生は、ビニル袋を持ってきて――そういえばこのビニル袋も透明だ――バサリと振るったかと思ったら口を閉じてみせた。それを僕に渡して、この中にあるのが空気だ、と言った。確かにパンと張った袋の中には、押すと硬い何かが入っているようだった。これが空気だ、と先生が言うのだから、あれは空気だったのだろう。あれも、ビニル袋で覆って周囲から切り離したから、触れられるようになったのに違いない。

 では、やはり、『在る』ものは『見える』し『触れる』のだ。ということは、見えも触れもしないものは、存在しないということだろうか。それがイコールになるのかどうか、僕にはわからない。
 もっといえば、その片方だけを満たす場合などには、結論を出すのはまったくお手上げとしかいえない。
 だから僕は、今僕の目の前にそれが本当に存在しているのか、それがわからないのだ。
 それは、ちょうど映写機で映したように――そういえば、映写機の像というのは、あれはそこに『存在している』といえるのだろうか――向こう側がうっすら透けていた。仮にすっかり透けていることを透明と呼ぶのであれば、『半透明』などというのは中途半端で何ともおかしな言葉だと思うのだが、それは恐らくそう表現するのが相応しいのだろう。
 僕の目にはそれは見えていたのだが、それに触れることはどうやら出来ないようだった。或いは空気のようにビニル袋にでも入れてしまえば、しっかりとそこに在ったのかも知れないが、生憎僕はちょうどよい袋など持ち合わせてはいなかったし、触れようとしても突き抜けてしまうような状態で、おおよそ映写機の映像のようなそれを袋に入れることが出来るとはあまり思えなかった。

 もし、それがそこに存在しないものだとして、存在しないものが『見える』のだとすれば、他人は僕をおかしいとするだろう。気が触れたか、寝惚けでもしたのではないかと嘲笑うに違いない。
 しかし、映写機の映像はどうなのだろう。あれはそこに『在る』のだろうか。あれは皆に見えているだろう。あれがそこに無いのだとしたら、やはり在りもしないものが見えているということなのだろうか。それとも、やはりあれはあそこに在るのだろうか。それがとても気になる。何せ、目の前のそれはほとんど映写機のそれと同じ性質に思えてならないからだ。ただし肝心の映写機が存在していない。

 しかしあの女は誰なのだろう。どうしてこっちをじっと見ているのだろう。僕からは、どんなにじっと見ても、向こう側のものが余計に透けるばかりで一向にはっきりはしないのに。
 あの女からは僕の姿はどう見えているのだろう。もしや水と空気のそれのように、僕とあの女の関係は逆転して、あの女から見た僕は僕が見るあの女のように透けているのではないか。だから、あの女は目を凝らしてこっちをじっと見ているのではないか。
 では、透明になった僕は、ここに存在しているのだろうか。僕があの女に触れないということは、あの女も僕に触れていないということだろうか。では、僕は存在していないのだろうか。

 女が僕に手を伸ばしてきた。女の手が僕の首に掛かる。女の手が、僕の首を絞めている――ああ、女は僕に触れているのだ。
 よかった、僕はここに『存在』しているのだ……

 それにしても、水やガラスやトンボの羽はどれもキラキラとよく光るのに、空気は何故光らないのだろう?

お題提供:[ものかきさんに100のお題。](in A BLANK SPACE

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