ものかきさんに100の質問。/ものかきさんに100のお題。

ものかきさんに100のお題。

22.身勝手

 青年は橋の欄干にもたれて、下を流れる川を眺めていた。視線の先には、ふつふつと溜まった白い泡のようなものが淀みにはまってもがいている。

 ――淀んでいる。
 あれは何故、あんな場所で滞っているのだろう。そして何故自分はこんな場所でそれをただ黙ってじっと眺めているのだろう。

 人間、極力厭なことに触れずにいようと思うと、大層くだらない頭の軽い能天気な人間に見えるものだ、と思う。いや、実はそれはさほど外れてもいないのだろう、とも思う。多少能天気でもなければ、厭なことに触れないようにする、などというものの考え方はできないのだろう。それはそうだ、と思う。そういった部分がまったくなければ、さぞ世の中は生き難く、すぐに果敢無くなってしまうだろうと思う。
 しかし本質的なことからいえば、ただ垂れ流すように、ああ厭だこれが厭だあれが厭だと、周りのことも気にせずにそう厭うている人間が、そういうことを触れまわれば他人もさぞ厭な気分になるだろうと深慮して口にせぬよう目に触れぬよう隠している人間よりも、繊細でよく考え世間を疎んでいるかといえば、恐らくはそうではあるまい。
 が、人間などというものは、他人のことをそれほどそうつぶさに観察し考えているかといえば、そんなことはないのだ。明るく振舞えば、明るい人間なのだと素直に受け止め、ただ沈痛な面持ちで嘆いてみせていれば、その厭世的な姿勢に同情しもするのだ。
 他人を慮って、深慮に遠慮を重ねた上で平然とした振る舞いをする者に対して、事の真実を見ることもなく自己の都合のよい面しか見ずに軽んじすげなく接するのは、それは確かに身勝手なことだろう。要するに結局のところ他人のことを、他人が見せる上面以上によく見ることが面倒なだけなのだ。
 しかしまた、平気だ大丈夫だという顔をしてみせておいて、何だどうして軽んじられるのだ、誰も自分のことなど考えてくれていないのだと、そんなことを思うのは、それも実に身勝手なのだ。他人が自分の抱いて欲しいよう自分の像を捉えたのだ、やった上手く騙しおおせたと、そう笑えばいいのだ。心配させまいと振舞って、心配されずにいて、それを不満に思うなど、自己矛盾も甚だしい。
 それがまたよくわかっているからこそ、そんな自己を厭い、他人もそれを厭うだろうと隠し、深みに嵌る。それもまた、わかってはいるのだ。

 死後霊になどなるのは、案外このような気質の人間なのではないだろうか。言いたいことを言わず、従って理解されず、それ故に心残りが出来る。死後なお自身の扱いに不満があって、思い通りにならないことに憤る。
 言いさえすればいいことを、それで済んだ筈のことを言わずに呑み込んで、禍根を残す。
 それで、祟る。
 それではあんまり身勝手ではないか。
 勿論、そればかりではないだろう。殺された、打ち捨てられた、憎い許せない――そういう霊もあろう。だからといって、無関係の人間に祟れば、それはやはり身勝手だ。犯人でも何でも、恨みのある人間に祟ればいいのだ。自分がどれほどひどい目に遭ったからといって、誰彼構わずひどい目にあわせていい道理はない。主義主張を以っても無差別テロが許されないのと同じように、だ。

 死んでなお霊までも身勝手というのなら、やはり人はあまねく身勝手だということか。それとも、人は身勝手ゆえに、その想像において、霊までも身勝手にしてしまっているのだろうか。
 否、自己の抱く後ろめたさ故に、祟る呪うと貶めたのならば、やはりそれは生きている者こそ身勝手なのだ。逆に勝手に無事六道輪廻を脱し成仏したのだとするも、それはそれで勝手な想像に過ぎないか。そうでありたい、そうであって欲しいと、死者にまで期待や自身の願望を押し付けるのか。
 ――なんて、業の深い生き物だろう。

 果たして、自分はどちらだろう――もし、今、命を落としたとしたら。

 青年は橋の欄干にもたれて、下を流れる川を眺めていた。視線の先には、ふつふつと溜まった白い泡のようなものが淀みにはまってもがいている。
 小さな溜息を一つ吐いて、青年はその場を離れた。

お題提供:[ものかきさんに100のお題。](in A BLANK SPACE

inserted by FC2 system