ものかきさんに100のお題。
15.後ろめたさ
――何でダイエットなんて始めたの?
思えば、花梨との関係がおかしくなったのは、その言葉がきっかけだったのかも知れない。聞かなければいいことを聞いてしまったのかも知れない。
そんなのは、結局ただのきっかけに過ぎないことは、私にだってわかっていたけど。
しばらくは、別にとか内緒だとか、花梨は私の質問に答えなかった。私は、多分少しだけ悔しくて訊いたのだ。ダイエットなんて必要ないじゃない、そう思った。好きな人でもできたの、そう勘繰った。花梨が答えをはぐらかすから、だから私は訊いたのだ。
内緒よ、花梨は言った。
「綺麗な――になりたいから」
意味がわからなくて私は馬鹿みたいに――そう馬鹿だったのだ、聞き返さなければよかったのだ――ぽかんとした顔で、わからないまま訊き返してしまった。
「だって、綺麗な方がいいでしょう? そのとき後悔したって、もう遅いんだし」
花梨が笑う。花梨は綺麗だ。とても綺麗で、私は怖くなる。
だから言った。
「花梨は綺麗だよ。今のままで十分綺麗」
その人形のように整った顔も、そのきめ細かい肌も、線の細い身体も、綺麗で、まるで、まるで私と同じもので出来ているようには思えないくらいに。
「ダイエットなんて、しない方がいい。今のままで、こんなに綺麗なんだから」
抱き締めたい、衝動に駆られた。
花梨はもう一度笑った。私の名を呼んで、そんな顔しておかしい、とくすりと笑った。冗談にするように? いや、花梨が不思議がっているのは、私だ。「わからない」私がおかしいと笑ったのだ。
だから、私は、その笑顔の綺麗さが怖かった。いなくなってしまうようで、怖かった。
やっぱり、抱き締めてしまいたかった。手を離さないように――顔が見えないように。
甘美な言葉で、砂糖菓子の甘さで、花梨の身体をこの世の毒で汚して。卑俗にまみれたこの手で触れて、飴のように絡めてしまえたらいい。「綺麗」になろうとする花梨を、軽やかに飛べないように、甘い甘い毒で太らせてしまえばいい。
私はだから、花梨に優しくするたびに、後ろめたさを覚えていた。そうやって、優しいフリで、心配する顔で、彼女の望む楽園を遠ざける。
それは、間違いなくただの私のわがままだ。
聞かなければよかった。訊かなければよかった。そうすれば、私の優しさは、ただの優しさだった。私の言葉は毒ではなかった。
「写真を撮らない?」
花梨が言った。夏休みに入る少し前だった。携帯電話でもデジカメでもなくて、使い捨てではあったけど、ちゃんとフィルムの入ったカメラだった。
「どうせ休みになったら使うと思って、買ってきたの。先に一枚、ね?」
どうしたの、と訊いた私に花梨はわざと違う意味で捉えて答えた。わざとではなかったのかも知れない、だって、花梨は何もおかしなことをしているとは思っていないのだから。
ファインダー越しに見る花梨は、やっぱり以前より少しだけ痩せていて、花梨の言ったように、前より綺麗になっていた。ダイエットなんてしなくていいといったのは嘘ではなかったけれど、嘘を吐いたようで、また後ろめたさを感じた。
きっと写真は綺麗に写っている。花梨は綺麗で、花梨のことをこんなにも綺麗だと思っている私が撮ったのだから。
――こんな写真、撮りたくなかった。撮るんじゃなかった。だって私は、花梨が写真を撮ろうと言った理由を、訊かなくても知っていたのだ。
こんな写真、要らない。
「綺麗な死体になりたいから」
「だって、綺麗な方がいいでしょう? そのとき後悔したって、もう遅いんだし」
わざとボケた写真を撮ればよかった。私は、少しだけ意地悪くそう思った。
お題提供:[ものかきさんに100のお題。](in A BLANK SPACE)